「沖縄文化論 ー忘れられた日本」

 ベトナムのことわざに
『上に「政策」あれば、下に「対策」あり』
と言うのがあるそうです。もちろん「上」とはお上の事です。時には上の政策が好ましくない事も上手くいかない事もあるでしょうが – そこは社会主義の国 だからと言ってどうにもならないのですが – でもそれならそれで上手くやっていくにはどうしたらいいか的なしたたかさを感じて、私は大好きな言葉です。基本にあるのは「自分は守らねばならぬ」 庶民の底力とでも言えばいいのでしょうか、日常生活を生き抜く力強さを感じます。
 閑話休題
 今回のこの「沖縄文化論」のなかで「ちゅらかさの伝統」という短い一章があります。「ちゅらかさ」とは「美ら瘡」美しいかさぶた。実は天然痘の事を指している言葉だそうです。なぜ死亡率の高い伝染病である天然痘が美しいのか。著者は考えます。逆に受け入れてしまうことで忌み嫌うものではなく、崇めるものへと転化しようとしたのではないだろうかと。ぶっちゃけ美しいと思わなければやってられない、というのが本音ではないでしょうか。それって単なる現実逃避じゃないかとも思えるのですが、それほどかつての沖縄の「日常」は生きていくにはあまりにも過酷なものであったらしい。自分を守る社会的手段は全くなく、搾取され続けてきた長い歴史があるのです。ほんと、なーんにも無かったらしい。(アメリカの黒人奴隷は歌と踊りだけしか許されていなかった、と何かで読んだ事があります。そしてそれがジャズを生み出す大きな原動力となったとも。でもここでは音楽は生産手段の効率を高めるための道具でしかなかった。ある意味音楽すら持てなかったと言えないでしょうか)だから疫病神である天然痘でさえなだめすかして「通り過ぎてもらうしかない」と考えたのではないだろうか、と。
 この作品のなかでは挿話的な扱いの章なのですが、ここでシンボル的に紹介されるこの言葉も、日常を(例えそれが望んだ生活でなくても)生き抜いている人の力強さを感じて – 悲しい言葉ですけど – 私の大好きな言葉です。
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■出版社
中央公論社
■著者
岡本 太郎
■内容(カバーより)
 苛酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本の息吹きを今日まで脈々と伝える沖縄の民俗。その根源に秘められた悲しく美しい島民の魂を、画家の眼と詩人の直感で見事に把えた、毎日出版文化賞受賞の名著。
 ちなみにこの作品には個人的な思い出があります。大学時代にこの本を偶然 図書館で見つけ、ものすごく影響を受けたのだけど、当時は絶版でした。自分のできるかぎりで探したつもりですがどうにも手に入れられそうにありませんでした。仕方がないのでせめて印象深い箇所だけでもと大学ノートに手書きでそこここ書き写していたら、あれが足りない、ここもないと話がつながらない、うーん、結局全部書く事になってしまって、最後の方はコピーをして、手書き+コピーからなる一冊の本にしてしまった事があります。ちなみに当時はハードカバーの単行本だったのですが、文庫本になっても261ページあります。どんだけ時間とお金をかけたんだ? 今は中央公論新社からでていますのでそれを持っているのですが、あの当時作った手書き+コピー本の「沖縄文化論」も置いとけばよかったなと今更ながら残念に思い出します。

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