「高杉さん家のおべんとう」

 この春12歳になる少女はひとりぼっちになってしまった。少女は母の遺言通り、31歳のいとこ(無職で独身男性)のもとに引き取られることになる。
 シングルマザーの元で育てられた事も影響しているのだろうか、元々おとなしくじっと耐える子供で、あまり自己主張する事もない内気な子供だった。小学校に入ってからはメキメキと美人さんに成長するが、それが原因である事をきっかけにいじめを受けるようになり、知らない人とはさらに距離をおくようになってしまう。さらにもっと語るのならば、そんな彼女が絶対的に心を許している母は、実は肉親ではないのだ。でも今となってはその母親でさえも事故で失ってしまった。そんな家庭環境で育った少女の新しい保護者は、なんというか、(いい意味で)残念なキャラクターの人だった。
 とにかく彼は彼女の為に頑張るのだが、空回りするする。全力で空回りをするのである。周りの人間の方が彼らを心配する。曰く、彼女の家族になってあげてください。曰く、彼女のこころを解きほぐしてあげてください。もちろん保護者たろうと彼はかんばるのだが、これがことごとく空振りする、全く残念なぐらい! ex. ある日彼(ハルミ)は彼女(クルリ)がいじめを受けている場面に遭遇する。そのきっかけはハルミが作ったお弁当だった。
「高杉サンのお弁当ってぇ いっつもおかずひとつなのねぇ」
これを黙って聞き流すほどクルリは傍観者ではない。真っ向から火の粉を振り払おうとする。
「 で?」
ハルミの方が気が気でない。担当の先生から助言を受ける。「保護者としてすべき事はわかっていますか?」(←彼女の気持ちをほぐし、心を開くようにしてあげてください、と先生は言いたかったのだが)
「おかずの品数 増やしますっ!」
だからお弁当の事じゃないんだってば! しかもそれが原因でさらに状況をひどくさせてしまうのだから、何をかいわんや…
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■出版社
メディアファクトリー
■著者
柳原 望
 夕食はクルリが。その残りで次の日のお弁当をハルミが作る共同作業が始まった。全く違う人間同士が同じ屋根のしたで、クルリの母親と過ごしたお互いの記憶だけを頼りに、ちょっと変わった2人の日常生活がマンションの台所を舞台に始まる。
 家族ってなろうと思わなければなれないんだな。それに対する料理を作ることの意味?意義?って大きいんだろーなーなんて思ってしまいました。ちなみにクルリがハルミのことを名前で呼んでくれたのは一年半後のことでした(それまで名前を呼んでもらえなかった)。家族になれた瞬間だったと思うんだけど、ハルミはそのままスルーするし… ほんと残念な奴だな。
 ちなみにクルリは節子さんという精神的支柱を途中から得るのである。お料理上手の節子さんはクルリに料理以上のことも教えるのである。節子さん曰く「帳尻合わせる行きあたりばったり力」だ。この帳尻合わせ技を伝授する「節子さんのなんとでもなる講座」がまた面白いのだ。やっぱり料理ってクリエイティブな作業なんだなと改めて感じさせてくれました。
 

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