私には2人の姉がおります。現在はそれぞれ結婚しており、それぞれが家庭を持っております。一番上の姉は嫁いだ人が県外の方だった事もあり、十何年も会っておりませんでした。それが、高校を卒業して専門学校に進学する姉の娘の春休みを利用して一度高知に帰ってきた事がありました。もちろんその日は姉弟3人がそろって飲み明かしました。一緒に生活していた時は決して仲のいい姉弟ではなかったのですが。そんな時に姉が高知の追手筋の55番街に飲みに行きたいと言い始めました。どうも話を聞いていると会社勤めをしていたときよく飲みに行っていた思い出の場所との事。逆に私はここでの思い出が全くないので、ピンとこず、ただ話に相づちを打っているだけでした。最初は母と自分の娘を連れて行きたかったようなのですが、母がなぜか乗り気でないよう。最近とみに歯が痛くて、などとぶつぶつ言っている。で、おはちが私に回ってきました。「あんた、付き合いなさい」「別に いーけど…」
私は高知市追手筋の55番街にはあまり思い出がない。せいぜい「華珍園」か「大吉(チェーン店でない方)」ぐらいのものだったから、逆に面白そうだと一緒についていく事にした。そしたらいきなり「関羽」に連れて行かれた。噂には聞いたことがあるけど、いきなりかよ!そしたら姉曰く「開店と同時にはいらないと席なんか空かないよ」とのこと。姉の娘は今どきの女子なので思いっきり引くかと思いきゃ、結構平気な感じ。さすがは姉貴の娘! 逆に店内の男性の視線を集める集める。私の方が恥ずかしくなるくらいだ。そんなこと全く気にする風もなくご機嫌で注文しようとする姉。こっちは何がオススメなのか分からないので姉に全てお任せだ。注文を取りにきた大将が「久しぶりだね」と声をかけてくれる。「やっと帰ってきたの」とは姉の科白。イスもテーブルも小さく皆が身を寄せ合って注文の商品がくるのを待っている。「ここの大将はお客さんの顔を全員覚えているの」とは姉からの情報だ。姉はかってしったる部屋のように瓶ビールを取り出してきて手際良く栓を開け、私にビールを注いでくれた(娘さんは烏龍茶です)。何度か3人で乾杯を繰り返していたら注文していた料理が運ばれてきて初めて、私は母が乗り気でなかった理由が分かりました。なかなかワイルドな料理が並んでいきます。たまたま姉の頼んだのがそういったモノばかりだったのかもしれませんが、噂にたがわず強敵である。まずは姉が満面の笑みでかぶりつく。私も娘もそれに続く。うん、味は悪くない。というか結構好きかもしれない、ちょっとした見栄えと歯応えを除けば。そう言えば、「とんちゃん」も「大吉」もこの一番上の姉に初めて連れて行かれたような気がする。自分が酒飲みな原因の一端は絶対この姉にあるはずだ。
そんな感じで始まった飲み会なのだけど、なぜかうちの祖母の料理の話になった。2人で何が一番好物だったかを話した時、やはりというか2人とも「カツオ飯」と「オムレツ」だった。祖母が作ってくれる料理で一番好きな料理が同じだったのは、何というか、ちょっとビックリした。そんな話なんかしたこともなかったし、当時は仲のいい姉弟ではなかったので一緒に食事をすることもほとんどなかったはずなのに。姉も驚いたのかもしれない、何かそれで2人が大いに盛り上がって、やっぱりおばあちゃんの料理は美味しかったよね〜、なんて2人でうなずき合ってました。それを娘が横で「きもいし、ってかなにそれ、意味わかんない」ってな顔で引いていたのが面白かった。ああ、おばあちゃんの料理は姉の家庭までは引き継がれなかったんだな、おばあちゃんの味は僕らの代で終わりなんだな、と思ってしまいました。いやいや姉はおばあちゃんの味を忘れたわけではないのだ。新しい味を旦那さんと娘の為に創り上げたのだ。姉は私たちの姉ではなく、彼らの母として生きているのをなんか実感してしまった。ので、娘さんには全然わかんない祖母の料理の話でわざと2人だけで延々と盛り上がらせてもらった。ま、いいでしょ、十何年ぶりに高知に帰ってきたんだ。小林家の長女としてこの瞬間だけでも返してもらおうと私は思ったのかもしれない。
追記.
姉達が帰ったあと、私は「カツオ飯」と「オムレツ」を自分で作ってみようと思った。インターネットでレシピを調べ、昔の記憶をたどって何が入っていたかを思いかえし、休日のたびに何回か作ってみた。途中で母が口をはさんできてから何となく記憶にある味に近づくことができた。母は私が作った料理を食べて「ここまでできれば上等じゃない?」と言ってくれたが、ということは違うってことですね。うーん、ほんとちょっとしたことなんだろうけど、何が足りないんだろう?