マンガ分とは

 このブログでちょくちょく出てくる「マンガ分」とは、結局なんだったのでしょうか?
  それっぽく書くわりには、ほんとはあまり深く考えず勝手に書いている言葉だったりするんです。とはいえ、このブログで小説やマンガを紹介していて、なんか共通点のようなモノを感じるときにしか使ってはいないのですが・・・ きっとそれらは括弧でくくれば(数学でいうところの)同類項なんだけど・・・ うーん、なんでしょう? ま、別にそれが分かったところでお腹がいっぱいになるわけでもお金が貯まったりするわけでも何でもないのですが、考えちゃうんですよねえ。損な性分のような気がします。
 さてさて、本題です。
 フランスの作家で「天の根」という小説を書いた方がいます。これが私が感じる「マンガ分」をかなりの部分説明してくれているんじゃないかなと今のところは思っています。私は原書を読んでいないのでなんとも言えませんが、この作品を紹介している内容そのままを引用させてもらいます。作品の舞台は第二次世界大戦中のドイツで、捕虜となったフランス人のお話です。
 「収容所でフランスの兵士たちが強制収容されて捕虜になっているわけですが、士気が衰え、生きる励み、気力がなくなり、刻一刻と頽廃の気配が蔓延している。そのときに、ロベールという一人の男がみんなに、ぼくたちのなかに一人のかわいい女の子をつくろうよ、その女の子がここでぼくたちと一緒にいるということにしないか、と提案するんです。みんなが、それはいい、それはいい、ということで、女神のようにかわいい空想の女の子ができ上がるわけです。
 そうすると、その女の子の前では男らしく振舞おうと、努力するようになる。実際に女の子がそこにいるのと同じように、毎朝彼女が着替えをしているあいだ、部屋の隅に毛布を捧げて、男たちの目から彼女を隠してやる。お昼休みには彼女のために花を摘み、下品な話をすると、あの子に悪いぞ、ということになる。そうしているうちに、その子の気にいるようにしよう、その子におもしろい話をしよう、というふうに、みんなの気持ちがだんだん浮き立ってきたといういうんです。
 すると、それを見ていたドイツの兵隊が、これはおかしい、なにかあるに違いないと警戒して、あるとき、ワーッと来て、寝台の下からロッカーの中から調べた。もちろん何も出てこなくて、挙げ句の果てに、空想の一人の女の子がいることがわかり、収容所長がやってきて、その女の子を引き渡せという。実際にはどうすることもできませんね。だからぼくたちは命にかけてその子を守りますと頑張る。」
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 私が小説やマンガに求める「マンガ分」とは、まさにこの「想像のもつ不屈の生命力」なのかもしれない。それも上等で上品なもんじゃなく、雑草のごとく踏まれても踏まれてもケロッとして生えてくるあっけらかんさなのかもしれない。「で、何か問題でも?」ってなもんさ! また、「マンガ分」とは「想像力が生命を持つ瞬間」でもあると思う。今まで頭の中にしかなかったモノが現実とシンクロする瞬間が確かにあるのだ。数名のフランス人の頭の中にしか彼女は存在しないが、もう今では誰もがその存在を認めざるをえないのだ。「彼女は確かにいたんだ!」ってね。
 そういったいわゆる「マンガ分」に出会った時、私は元気をもらっているような気がします。根拠の無い、そして無償の元気だ。私にとって小説や漫画は、その元気をストックしておくための巨大なタンクなのかな、なんて思っています。

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