タロットカードとこのブログ構成について

 タロットカードの起源にはいろいろな説があるらしい。そのなかで私が一番興味をそそられたのは「タロットはもともと一冊の本であった」とする説だ。その本の内容に関しても様々あります。キリスト教以前の古代の教典であるとか、古代からの伝承を伝えるために作られた絵本であるとか。それが何かをきっかけにバラバラに散らばってしまったのだ。それは異教徒からの迫害であるとか、古代アレキサンドリアの大図書館が炎上したことが原因であるとか。そのどれもが興味をかき立ててくれるのだけれども、私が一番興奮させられるのは、これ以上分割されることのないイメージのユニットを作る事でいつでも全体を分解・復元できる「本」が存在するという事である。そしてその順番を変えたり足したり減したりするだけでいくらでも物語ができるという事になる。という事は、もっと想像を膨らませれば – タロットカードの数は大アルカナ22枚・小アルカナ56枚と決まっているが – じつはまだ知られていないもう一枚のカードが存在するとしたら・・・。例えば、なぜそのカードは今まで表に出てこなかったのか? 誰がどういった偶然でそれを見つけるのか? それを意図的に隠していた存在がいたとしたら? 無神論者が適当なことを言って失礼だとは思いますが、キリスト教の起源に関わるカードだったりすると・・・。ひょっとしたら聖書自体がある意図を持ったカードの集合体であって、そのカードを一枚追加するだけで総てを作り直さなければつじつまが合わなくなってしまったら・・・。なんて想像するだけでワクワクしてしまいます(ほんと、すいません。適当なことを言いまして)。
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 さて、このブログも – なんちゃってですけど – ちょっとだけコレを意識して作っていたりします。「これ以上分割されることのないイメージのユニット」であるマンガや小説を「私」というある意思のもとにつなぎ合わせるという、小説・マンガ・私という3つから構成されていたりします(小説+小説・マンガ+マンガの時もあったり、脱線したりもしましたが)。その「私の意図」というのがさらに練りこまれていたらそれぞれのカードがさらに生きるのでしょうが、正直ぶっつけ本番みたいになってしまいました。同じカードを使ってももっと面白くできるはずなのに、と思ってしまうのですが、今のところはこんなものでしょうか。
 実際これをひらめいたのは、2010年10月06日のブログ「なんとなく普通の日々」からなので、最初からそんな構成を考えていたわけではありません。ただ、このブログで面白かった本を紹介しようと考えた時に、ただただ並べていくだけではつまらないだろうと思い – ようだいの多い内容になるとは思いましたが – 対立するものをあえてチョイスしそのまま同列に並べていく、という岡本太郎テイストをマネてやってみました。はてさて、その考えはひとりよがりになってなければいいのですが・・・。どんな感じでしたでしょうか?

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