5月:青空市(2/3)

 ちょっとびっくりしたのは、彼女がイモの天ぷらを知らなかったことだった。イモといえばジャガイモや里芋など色んな種類があるけど、天ぷらで食べるならさつまいもでしょう。だからさつまいもをあまり食べない所ではイモの天ぷらって無いのかもしれない。それにしたって天ぷらのタネとして”いも天”ってあるよね。ま、そりゃ、この街のいも天はサイズ的に大きかったかもしれないけどさ。それとも彼女がたまたま知らないだけなのだろうか?
 でも、って考えてみる。彼女の育った街にも青空市はあるんだろうな。そこでは逆に私の知らない物が売っているのだろう。そしてそこでは私が逆に彼女に問いかけているんだろう。アレはナニ?って。いや、私ならその場から離れずじーっと見つめて動かなくなるかもしれない。またかよ、って顔で彼女が後ろで佇んでいる姿を想像してみて、おもわず苦笑してしまった。ねえ、夕夏が育った街はどんな街だったの?って聞いてみたくなる。
 でもそれって、聞いて、いいのかな? 思わず考え込んでしまう。この人に私はそこまで関わってもいいのだろうか・・・。でも、こうして一緒にいてくれるのだから – 少なくとも今なら – 聞いてもごく普通の会話の流れでそうなったって感じだよね。・・・うん、聞いてみようかな。
 「ねえ、夕夏。夕夏が小さい頃ってさ、」
 「うわ、メダカだって。メダカだよ、メダカ! 花衣、どうしようか?」
 たぶん、私は彼女のことを睨んでしまっているかもしれない。彼女もあれ?って顔してるし。いかんいかん、思い直して口を開いた。
 「・・・どうするのよ、メダカなんか買ってさ。」
 後から聞くと、その時あたりから私はぼーっとし始めたそうだ。
 それはじっくり見て回れば結構時間のかかる青空市を全部見終わったという疲労感もあっただろう。また5月にもかかわらず夏日と言っていいほど気温が高くなっていたこともあっただろう。私がだんだん無口にうつむき加減になってきたのを心配した夕夏が近くにある川沿いのベンチで休憩しようと言ってくれた。木陰に隠れているベンチを選んでとりあえず二人並んで座ることにした。夕夏がこりゃ日焼けしちゃったな、帽子もかぶってきたらよかったな、なんて言っている。私はまるでそれをテレビで見ているような錯覚に襲われるほど今の私の意識は私の身体から切り離されていた。それは – 時々指摘されることがあるので認識していたが – 自分が外界を遮断している状態だった。その状態になってしまったのは – あまり言いたくないけど – 母親との思い出がきっかけだった。私の母も日曜日に開かれる青空市が好きだった。小さい私をつれて”いいシキビがないのよね”って言っていたのを思い出してしまっていた。そして一度思い出してしまうと次から次へとあふれるように出てくる。やめて! お願い、止まってちょうだい。思い出したって痛みになりこそすれ喜びにはならないのだから。
 だから夕夏が飲み物を買ってくるね、って言って離れて行ったことに私は気づかなかったのだ。そしてふっと我にかえると、隣にいるはずの夕夏がいなくなっていた。これは・・・私をかなり真剣にうろたえさせた。おもわず立ち上がって、存るはずの彼女の姿に追いすがろうとするけど、どこを見回しても在るのは彼女の幻影ばかりでホンモノは見えなかった。
 ・・・はッ だからどうだというのか。私はひとりごちて腰をおろした。だからなんなのよ、見慣れた光景じゃないの、と。終わりのないかくれんぼはもうしないと決めたじゃないの。私は所詮一人なの。そう自分に言い聞かせた。あの日から私はずっと一人なのだと。でも、私の身体は私の思いとは別の反応をしてしまった。本当にそう思う、ヒトを支配しているのは脳だけではないことを。

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