本歌取

 クリエイティブとかオリジナリティとか独創性なんていう、何かそう言った大げさな事を考える時、いつも思い出すエピソードがあります。それは、フランス人が伝統を重んじる国民であることを説明するための例えとして描かれた話なのだけど、同時に創造というものの性格の一端を考えさせてくれるものでした。
 フランスのリオンに昔からある小さなビストロ。そこではメニューなんてものはなく、座ったら鳥肉のロティと温野菜のソテーがでてくるだけ。お店もこじんまりと、そして閑散としている。しかしそこから出てくる料理はとびきり美味かったという筋書だ。噂を聞いてやって来た料理人はこの料理の何に秘密があるのか考え始める。驚きの調理法が? それとも素材自体が特別なのか? シェフである小さな老婆はそんな料理人に優しく話しかける。
「特別なんかじゃありませんよ。使っているのはごく普通の食材ばかりです。80年前からずっと同じ生産者から買い続けて一度だって変えたことはありません。父の代からずっとです。メニューだって変えていません。」
「80年間ずっと同じ料理を作り続けているんですか?…よくそんな単調なことを続けられますね。」
「単調だなんて私は考えたこともありませんよ。…人間が一人一人みんな違うように、食べるものだって一つ一つみんな違うんです。固かったり柔らかかったり味が薄かったり濃かったり。一つだって同じものはないんです。料理にだって同じものは一つもありません。みんな新しい新鮮なひと皿なんです」
 同じ料理を何度も何度もただオートマティックに作るのではなく、求めている味を表現するために - 見た目は同じジャガイモかもしれないが – 日々違う材料を調整しながら - そう、例えば - 30年前に食べたものと同じ味に仕立てあげる行為はクリエイティブとは言わないのだろうか?
 芸術とは何かなんて大きな事は私には分からないのですが、ただそれらは日常を否定した所には存在しないんじゃないかなと思ったりします(その上で非日常的な作品というのはあると思いますが)。今回のエピソードにでてくる年老いたシェフに私は、何か日常を丹念に生きている感じを受けます。特に何か特別なことが起こる訳ではないが(でも本当はいろんな事が起こっているのでしょうが、それを受け止めた上で)日々じっくりと過ごしている感じがして、いい歳の取り方をしているなー、こんな年寄りになるのも悪くないな、と思ったりします。
 本歌取ついでにもう一つ。川原 泉 著「銀のロマンティック…わはは」より
「わかるよ、それぐらい。よーするに、わりかし普通っぽいところに美的やら芸術的やらはころがっているかもしんないって話だ」
「おまえがゆーと とたんに格調が失われるのは なぜだ…」
ではでは。

Share

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Optionally add an image (JPEG only)