この中で二人はとにかく美味しそうに食事をするんです。
別にグルメマンガのように料理の味を文字で表現しようとするわけではありません。美味しいものを食べている時の雰囲気 – 空気感 – の表現が実に美味しそう!なのだ。登場人物の仕草や科白を丹念に追いかけ、かけ合わすことで、お互いの感情まで同時に表現しようとしているかのようです。私もお酒が好きな方なので、この作品を読んだ時はやられたと思いました。これ以上酒を酌み交わしていることが楽しい表現方法があるんでしょうか? でも本当だったら注目すべきなのはそこではなく、アラフォーの主人公(女性)とその高校生だった頃のセンセイ(三十近く差がある)の恋愛の行方なのだけど、この恋愛は成就するのかよりも私は彼らニ人が食事をするシーンの方が気になって仕方がありません。お互い趣味趣向が同じで、居酒屋でツマミを注文しようものなら似たようなものをたのんでしまい、同じような食べ方や飲み方をする。またそれがお互いに合わせようとするものではないのです。いわゆる、人間関係の距離のおき方も同じなのです。
また二人の間ではちょっとしたハプニングが絶えません。なんのことはない、居酒屋で野球のラジオ中継を聞いていただけなのだ。ただそれが巨人と阪神の伝統の一戦であり、センセイは断然巨人ファンであり、主人公は真正アンチ巨人ファンなのである。そして間が悪いことに阪神がどんどん不利になって行くのである。センセイは上機嫌で酒を飲み語りあおうとする。主人公は絶対しゃべってやるもんかと意地を張りつづける。そんなちょっとしたエピソードが次々と紹介されていくのです。
とにかくきっぷがよくて読んでいて気持ちいい。ひさびさに爆笑させてくれたと同時にじっくり読まされた小説でした。勝ったか負けたかで言えば完敗ですね、はい、白旗ものです。
■出版社
文藝春秋
■著者
川上 弘美
■内容(カバーより)
駅前の居酒屋で高校の恩師と十数年ぶりに再会したツキコさんは、以来、憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは島へと出かけた。歳の差を超え、せつない心をたがいにかかえつつ流れてゆく、センセイと私の、ゆったりとした日々。谷崎潤一郎賞を受賞した名作。
全く知らないもの同士が同じものを食べるという行為は、古いいいまわしを引き合いにださずとも、やはりなにか意味のあることなのかもしれません。そしてお互いのその趣味趣向がさらに同じであった場合、きっとなにか特別な意味が発生するのかもしれない。それぐらい「同じものを同じように食べる」というのは奇跡的なことなのではないでしょうか。でもそれはそうでしょう、お互い全く違う家庭・社会環境で育ってきたもの同士がある日突然 – 例えば – 一緒に暮らせと言われても、そりゃ無茶な話だと思う。食べ物にしてもそうだろう、味付けひとつにしても濃い薄いから始まって森羅万象の事柄が違うはずなのだ。同じものを同じように食べるというのは、お互いの妥協点というよりは新しい世界観を創り上げることなのかもしれないなんて思ったりします。もしその行為自身に対して、お互いが楽しくて新たな発見があり軽い驚きをもたらしてくれるものであればなおさらなんでしょうね。それはきっと幸せなことなんだろうなと思ったりします。