「グリーン・レクイエム」

 ある人から「本を読めるのは貴方に読める才能があるからだと思う」と言われたことがあります。いやいや、絶対にそんな大げさなことではないと思いますが、でも確かになんらかのきっかけは必要なのかもしれません。私も意識的に本を読むようになったのは中学2年生からだったように覚えています。それまでは国語の時間は退屈で、読書感想文という宿題は悪夢でしかありませんでした。まったく、読んで感じて感想を分かるように字にしなくてはならないなんてなんてめんどくさいんだ! というかその前に「読みたい本」って何? 「読まないといけないもの」の間違いじゃないの? まるで皆が本を読みたいとでも決めつけてるかのような宿題というのはどうなの? 読みたくない人用に別の宿題を想定しておくべきじゃないだろうか、なんて小学生の時に思ったことがあります。
 それがどうしたことでしょうか、いまでは活字を目で追いかけていくのが楽しくなってしまいました。でもさすがに読書量はめっきり落ち込んでしまい、1ヶ月に1冊程のペースに最近は落ち着いてきています。それでもいつもの本屋によっては面白そうだとピンときて買って帰った本が本当にアタリだったりすると、嬉しくなってしまいます。その本を読んだことで – 大げさにいえば – 世界が一変してしまうような経験をすると、自然と本は読めるようになるのではないだろうかと思っています。そういう意味ではこの「グリーン・レクイエム」は最初の自分だけの大切な本と言っていいと思ってます。
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■出版社
講談社
■著者
新井 素子
■内容(カバーより)
 えっと、作品(なかみ)のご案内です。腰まで届く長い髪の娘・明日香。その髪に驚くべき秘密と力をひめた彼女の正体は? 彼女を愛してしまった青年・信彦との、のがれられぬ運命が明日香を見舞う。彼女の行く先は、さて、どこ? ショパンのノクターンが全編を包む「グリーン・レクイエム」、ほか2編の心躍るSF。
 高知市の愛宕商店街に小さな本屋さんがありました。その店先にはバス停があり、中学生の私は毎日そこからバスに乗り自宅まで帰ることになっていました。さすがに毎日となるといくら本に興味がないといっても時間つぶしの意味も込めてその本屋に入るようになりました。最初はマンガばかりを立ち読みしていましたが、次第に読むものがなくなり、ついうっかり反対側にある本棚まで移動してしまいました。その本屋は中央に仕切りのように奥へと本棚が続き、向かって右側にマンガ・左側に活字本と大きく分けられて置いてありました。その活字コーナーをぶらぶらと覗いていると、この作品の表紙が目に止まりました。ほんと、あの時なにを思って立ち止まってしまったのかは覚えていませんが、私はその小説を手にとり、買って帰り、かつてないほど熱中して読んだ記憶があります。それをきっかけにこの作者の本は見かけたら(新刊であろうが古本であろうが)問答無用で読むようになり、またその作品の中で紹介されている作家や作品なんかも一緒に読むようになりました。それで何が大きく変化したかといって、めっけもんだったのは国語の授業が面白くなったことです。教科書に紹介されている作品を読み、それを元に図書館に行き、いろんな作品を読んだように覚えています。「風姿花伝」なんかも読みましたよ。全然意味がわかりませんでしたが。でも意味が分からないまま目的のないままの読書というのは贅沢なことだなと今更思います。社会人になったら目的の本しか読まなくなるのですから。無目的な読書って実は大事なんじゃないかな、なんて思うことがあります。だからでしょうね、読書感想文なんて宿題が存在するのは。うーん、今を基準に考えれば読書感想文もそれなりに面白そうだと思いますが。でもあの時はホントに泣きたくなるほど嫌いな行為でした。三方一両損的な解決策はないもんでしょうか。

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