書くこと読むこと

 読むことはできる。書くこともできる。だけど作家になるには才能がなくては絶対になれない。確か村上春樹も作家になるにはまづは才能がなくてはならない、と書いていたと思う。別に自分が作家になりたいと言っているのではありません。このブログでは本の話をしているのだから「作家になるには」とあえて書きましたが、音楽でも漫画でも和菓子職人だって – とにかくクリエイターになりたいと思ったら – 少なくとも才能はどんな形であれ必要になっていくのではないでしょうか。でも才能ってなんでしょうか? 逆に才能だけあれば万事うまくいくのか? なーんてことを今回紹介する映画を観ながら考えたりしてます。
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■タイトル
Finding Forrester(邦題 小説家を見つけたら)
■販売元
ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント
■内容(カバーより)
 バスケットボールのプロ選手を目指す、ブロンクスに住む16歳の高校生ジャマール。彼には隠れた文学の才能があった。偶然か運命の導きか、彼が見つけたのは、40年前ピューリッツァー賞に輝いた処女作一作だけを残して文壇から消えた幻の大作家、フォレスターだった。少年に文学の才能を見出した大作家は彼の導き手となると同時に、自らも、心閉ざして生きてきた人生に向き合うことになる。
 この映画の中で、一人の大作家に憧れ文学を志してきた二人が、同じ教室で教師と生徒という立場で出会うのである。彼ら二人の何が違っていたのであろうか? 処女作でピューリッツァー賞に輝いたその大作家に、一人は見向きもされず、一人は幸運にもその大作家の師事を得られた。一方は選ばれ、一方は切り捨てられる。それは単なる偶然なのだろうか? それともそれこそが才能と言われるもの故なのだろうか? 私は「選ばれる」事に、自分ではどうしようもないめぐり合わせもあるような気がします。では – よけいなお世話だと思いますが – 選ばれなかった者の才能は一体どうすればいいのだろうか? そんなこと考える必要なんてないのかな? 「野に遺賢無し」と言われます。選ばれた方はそれはそれで大変でしょうが、ぜひともかんばってください。また「野に遺賢在り」とも言います。選ばれなかった者は自分で何とかするしかないんでしょうね。「何とかする」とは何か? それこそが才能の見せ所なのかもしれませんね。

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