農学部の思い出

 別に無口ではないのだが、人は口に出さない事もある。それが何なのかは人によっても違うだろうし、年齢だったり人間関係だったり環境の変化だったり、社会的立場が関係しているかもしれない。もっと複雑かもしれないし至極単純かもしない。人は誰しも言いたくない事や口にするまいと心に誓っていることもあるだろう。あいにく私はそういったことに気づいたりできる人間ではないので、そんな内容の話を聞いたりすることがあまり無かったりする。無論、相手だって私みたいな人間に言いたくもないだろう。他人のそういったものを知ったうえで黙っているのもまたしんどいことなので知らないほうが気が楽でいいやぐらいに思っている。ただ、聞けてよかったと思える出来事に遭遇することもある。
 私が大学生の時ですが、農学部生として師事していたある教授(A教授とでもしときます)が自宅を新築されたということがありました。皆でお祝いを持ってお伺いしたことがありますが、もちろん片手には酒瓶が握られております。今思えばA教授にしてみたら迷惑な話だったと思いますが、その時は快く出迎えてくれました。当然、そのまま飲み会に突入です。
 当時はバイオテクノロジーという言葉が流行ってまして、高知大学農学部にも遺伝子実験施設なるものも設置されるような時代でした。それ自体はいい事だと思いますし必要な事なのですが、一部の「食料自給率なんて考えるのはナンセンス」的な風潮を強める要因にも同時になっているような気がしてなりませんでした。「買ってくればいいじゃないか」と言わせている理由がそこにあるのではないかという事です。それに対する危機感を少なくともその新築祝いの場に集まった学生達は大なり小なり持っていたと思います。どうしてもそういった内容の話になってしまいます。お酒もかなりまわってきており、そんなときA教授がボソッと漏らしたことがあります。
 アレだけでは人を食べさせていけない。
 私にはそれがとても印象的でした。かっこよく言えば、今までもこれからも支えていくのは自分達だというゆるがぬ自負を感じました。自分達が必要なものは自分達で作り出す。テクノロジーがどうだとか、時代の最先端だからなんて、別に構うことではないんじゃないの? って言われたような気分でした。
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 あと、もう一つ。今回おじゃましたもうひとつの目的は、A教授の書斎を拝見するためなのです。先生の研究室はいつ行っても本や実験機器などがキチッと整頓された部屋だったし、以前から次の家では自分の書斎を持ちたいと言っていたし、これはぜひ御自宅の書斎を見てみたいものだと思っていました。とはいえ、そんな出歯亀根性も持ち合わせていないので言い出せないままでいると、なんと先生の方から書斎を見ていかないかとの提案が!(今思えば「見せて欲しいオーラ」が出まくってたかもしれません。すいません。)詳しくは書きませんが、実に日当たりがよくて開放的な印象の書斎で、皆で感心しきりだったのですが、これまた先生がボソッと言われました。
 書斎は日陰の方がいい(集中できるかららしいです)。
 お酒の飲み会に有意義なことがあるとすれば、普段ならしゃべらない事をふと話してくれることがある、ということではないだろうか。なにしろ今でも覚えている事を、しかも同時に2個も聞けることだってあるのだから。

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