「男おひとりさま道」

 一人暮らしというのは誰しも一度は憧れるのではないだろうか。多くは親元を離れて生きてみたいというごく当然な感情から発生することが多いのではないかと思う。その理由としてはありふれているが進学や就職が手頃であろう。それを言い訳に家を出てみたいという願望を叶えるのだろう。
 ただし、誰もがそれを実現できるわけではない。金銭的なことや、世襲的な家柄の理由で家から出られない人だっている。私の高校の頃の友人は高知の帯屋町に昔から店を構えている長男だったので、高校を卒業したら店に入るのだと大学受験に振り回されていた私に漏らしたことがある。そんな私は、生まれも育ちも進学も就職も高知だったので、本当の意味での一人暮らしをしたことがない(なんちゃって一人暮らし というのは就職してからですが2年ほどしたことがあります)。
 だが残念がることはない。人は必ず一人暮らしができるようになっているのだ。そう、年を重ねて行けば、両親は間違いなく自分より先に他界することになっている。煩わしいと思っていた親族との付き合いも両親がいればこそ強要もされようが、それよりも親族の方が先に他界する可能性だって多いにあるのだ。会社からも社会のしがらみからも開放され、本当の意味で一人暮らしができるのだ。ただ残念なことにこれを実現するには知っておく事が二つある。ひとりではひとりでに時間はつぶせない事と、死のイベントはひとりでしないといけないという事だ。
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■出版社
法研
■著者
上野 千鶴子
■内容(Amazonより)
 死別・離別・非婚シングル、老後に生きる道はあるか。在宅ひとり死はこわくない。
 この作品の中でAV男優の二村ヒトシの言葉が紹介されている。
 「居場所とは、ひとりでいてもさみしくない場所のことである」と。
 言い得て妙であると思うのと同時に、生活をしていく上で大事な考え方だと思う。そうとはハッキリ言わないが「自分の居場所がない、ひとりでさみしい」という感情にときたま接することがある。でもそれって、おかしくない? と感じてしまうのは私がおかしいせいなのでしょうね、きっと。
 ま、そんな事は放っておいても、いかに男おひとりさまが、要介護になっても、単身で在宅で暮らせるか・死ねるのか? この本では「可能である」として「どうすれば」「何が必要か」を考えている。ちょっとズレるが、現実問題として介護保険の在宅支援サービスを利用しようと思ったら、同居家族がいたり夫婦が揃っているばかりに利用できなかったりするらしい。簡単に言えば、ひとりでいる方がサービスを受けやすいのが現状だそうだ。あと、自ら進んで老人施設に入ろうとする人は殆んどいないという事だ。入るのではなく、入れられるという事らしい。著者は皮肉交じりに書いている。
 いざとなればコンビニの弁当があるではないか。
 え? 3食コンビニ弁当を食べるなんて味気ない、ですって?
 そんなことはない。施設に入っても、あてがいぶちの給食を食べさせられるのは同じではないか。有料老人ホームだって同じだ。まだコンビニ弁当の方が選択肢がある!
 つまり、よっぽどのことがない限り、ひとりの方が生きやすかったりするのか? なんて思ってしまう(もちろん認知症にも寝たきりにもならないことが条件にはなるのだが)。「孤独死」と「ひとり死」はまったくと言っていいほど別物である。でもそんな死に方が当然のように選択できる社会って、逆にどんな社会になるんだろう? それはそれでなんか欠落しているような気もしますが。

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