「笑う大天使(ミカエル)」

 前もって言っておきます。今回はようだいばっかりです。ま、今回ご紹介する著者の作品に対する形容詞に「哲学的ですらある」とあるくらいですから。私も多少へりくつを言ったとしても今回は少しばかりおつきあいを。
 なにか私の柄ではないが、愛情という単語は本当に忙しい言葉だなー、と思ってしまう。試しに私の手元にある辞典で調べてみると、「異性を恋慕う心」と「可愛がる気持ち」・「哀れむ気持ち」とある。ということは例えば女性が、きゃーっ! OOO の XXXさんって ステキ(はあと)って言ってる状態と、赤ちゃんや小さな子供や犬・ネコにみとれてしまう状態と、相手の気持ちと自分とを同期させている状態を「愛情」って単語が一手に引き受けているんだもの。ほんと、忙しいよねえ。
 ちょっと脇道にそれますが、少女漫画は性衝動の漫画だ、と書かれているのを読んだことがあります。だから少女漫画では恋が外せないのだ、と。おいおい、それまた極端な意見だなと思っていましたが(ただその方は女性で、その意味するところは男性のそれとは異なることが前提だと思いますが)、でもひょっとして、この「性衝動」含有率が愛情という言葉を可逆変化させているんじゃないだろうか、なんて最近思っていたりします。含有率が多い順にいえば「異性を恋慕う心」>「可愛がる気持ち」>「哀れむ気持ち」の順番になるのでしょうか? もちろん「愛情」という言葉は「性衝動」だけで構成されているわけではなく、その他もろもろの構成成分で形成されていると思います。例えばその「愛情」が形成されるのに必要な全体量は常に一定だと仮定すると、「性衝動」が増えれば何かが欠落し、減れば何かが足されていくのだろう。「満たされない」という抽象的表現はここからきてるのか? なんて想像してみたりします。だとすると「愛情」という言葉の前に色んな事象が起こるのも無理のないことですよね。
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■出版社
白泉社
■著者
川原 泉
■内容(カバーより)
 史上最強の名門お嬢様学校、聖ミカエル学園に学ぶ3乙女。元・伯爵家の血をひく司城史緒、名門大名華族出身の母を持つ斎木和音と一大レストラングループ総帥の令嬢更科柚子。彼女たちはお互いの本性を知らぬまま、それぞれに猫をかぶり続け、良家の子女然としたうるわしい学園生活を送っていた。ところがある日、柚子と和音は裏の林でこっそり庶民の味「アジのひらき」をくわえている史緒を目撃してしまう!? 川原教授の傑作ハイセンスコメディシリーズ!!
 長い前ふりになりましたが、川原 泉の作品はどれも愛情てんこもりの作品で、読んでいてじつにほっこりした気分にさせてくれます。著者の代表作といえば「笑う大天使」だと思っているので今回のタイトルに持ってきましたが、著者の作品は共通してこの愛情がたっぷりと含まれています。それも「性衝動」含有率が非常に少ないタイプの愛情で貫かれています。作品を読んでもらえば分かると思いますが、登場する女性は女性らしいスタイルやルックスをことさら強調するようには描かれていません。しかもやたらと弁がたってくどくどと説教にも近いような科白をくちばしります。それでいて面倒見がよく世話好きだったりします。ほんと、おかんか、お前は!ってつっこんでしまいたくなるようなキャラクターばかりなのです。では「性衝動」が少ない分、いったい著者の「愛情」には代わりに何が含まれるのでしょうか? だから、なのでしょうか。著者の漫画には様々なシチュエーションが登場します。SFあり、学園ものあり、スポーツものあり、歴史ものあり、etc.etc. それはあたかもどんな状況であっても最後まで「愛情」に残る必要最低限の構成成分は何か? これが無くなれば「愛情」ではない、という元素を逆に探しているかのように感じるのです。
 また著者のキャラクターは、実によく働きます。学生なら当たり前のように勉強します。それも友人のために、家族のために。それについて改めて問いただせば「自分の為にしているだけだ。なにか問題でも?」と言われるんだろうな。何かを求めようとする時、自分の定位置をどこに設定するかは非常に大事だと思っている。著者の定位置は「庶民」かな? 自分は特別な存在などではなく、誰かにとって変わられる程度の存在でしかない。もっと言えば「私は私でなくてもいい」というのが著者の定位置じゃないかなと思っている。とはいえ、この自分を少しでも必要としてくれる人が一人でもいたとすれば、著者はなにを感じるのだろうか。そしてこの「愛情」になにを足そうとするのだろうか。

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