PCテクノロジーのある風景

 ヒトの脳みそというのはおよそ300万年くらい前から増加の一途を辿ったらしい。それ以前はチンパンジー程度だった脳がそれ以降どんどん大容量化していき、ネアンデルタール人ぐらいになると(約20万年前)ほぼ現代人と同容量まで増加した。まだ単純な石器道具しか扱えないのにもかかわらずだ。これを同時代の別の生物からは私たちはどう写ったのだろうか? とにかく巨大な脳を頭頂部に備え、全てを使いこなせてもいないのにそれをさらに増強することを止めず、しかもそのせいで二足歩行まで余儀なくされている。とにかく効率が悪く(巨大な脳を維持するには莫大なエネルギーが必要だった)、わざわざ二本足で立ち上がり(4本の方が安定してるし耐久性や俊敏性もある)、どう考えても生物としてはその巨大な脳はお荷物に見えたのではないでしょうか。あまりにも余りある生命維持装置であると。 ホモサピエンス以外の生物はあきれたように私たちを見ていたに違いない。しかしホモサピエンス – なかでも現生人類 – はその他の生物とはあきらかに一線を画する生物となった。だから私はこうして文章をかいているし、それを読み、理解できる生物になっていることだけは間違いないのだろうと思っています。
 なんでそんなことを言いだすのかといえば、パソコンやスマートフォン・タブレットなどのCPUやグラフィックボードなどが最近やたらと進化しているからだ。今自分がしていることにそんなに速いパーツが必要なのか?と感じることもありますが、ムーアの法則を持ち出さずとも、それらはけっして進化をやめようとはしません。なぜなのでしょう? なぜ「やっぱ、やーめた」ってならないのでしょうか?
 それは結局ヒトが作っているからだと私は思います。かつてヒトはそうやって進化してきたのだから、とどまることを知らないのは当然なのかもしれません。あなたが最新のパソコンやスマートフォン・タブレットなどを触った時、もし自分が持っているモノより速いと感じれば、楽しいとか気持ちいいとか感じるのではないでしょうか? 例えばPCの起動がものすごく速かったり、画面の切り替えやタッチ操作に敏感に反応してくれたりすると、なんだか嬉しくならないでしょうか? 進化していることに対して私たちは快感を感じるようにDNAに刻み込まれているんじゃないのか?って思ってしまいます。
 いつかそれらはヒトに追いつき、SF映画のような世界が現実になるのかもしれません。そしてヒトのつくった知的生命体は、一体なぜヒトは私たちを作ったのだろうかと自問自答するときがくるのかもしれない。しかしそこには意味はないのでしょうね。ヒトがそういった進化をとげたのだから、ヒトに作られた以上、その知的生命体は同じ進化をとげるしかないのだと思います。
 だから逆に神様ってきっといるんだろうな、って思ってしまいます。その神様と呼ばれし者も、きっとヒトと同じようなことして生まれてきたんだろうなって思ってしまいます。だから自らと同じようなヒトを作ったのだし、作られたヒトもなぜ自分は生まれたのだろうと考えはするけど、答えなんてでるはずがない、なんて無限ループに陥りそうなことを店内に並んでいるPCパーツを眺めながら思ったりするのです。
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 実はこれにも元ネタがあります。「DOS/V POWER REPORT」という雑誌で連載している 後藤 弘茂 「POWER EYES」というコラムがそれなのです。もしこちらの雑誌を読む機会がありましたら一度読んでみてください。かなり個性的ですが。
蛇足:時事ネタをいえば、だからiPhone 5cより 5sに人気が集中するのは仕方のないことなのでしょうね、きっと。同時に発売されたら速い方を選ぶのはヒトの性だと思う。iPad miniと同じで発売時期をずらしてた方がよかったんじゃないかな・・・ なんて、いっても仕方のないことを考えてしまいます。

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