ある時、登山を趣味とされているご年配の女性の方が最近ブログを始めたと教えてくれました。そのときのよもやま話を聞いていると、「友人から文章が変だって言われるんです、まるで日本語じゃないって。きっと、私、本を読まなかったからなんでしょうね」と言われたことがあります。うーん、確かに読書していた方が色々な表現ができるようになるとは思いますが、相手に分かってもらうように書くこととは別のような気がします。例えば – 極端な話ですが – 文学部を卒業しないと新聞記者や雑誌編集者にはなれないの? 逆に理系のプログラマが作ったそのソフトウエアの使用説明書はわかり難いの? もし知っていたら教えてほしい、どんな本を何冊以上読めばわかりやすい文章が書けるようになるの? それと私的な経験から言わせてもらえば大学入試に理系であっても小論文があるのはおかしくはないのか! でも現実問題としてそんなこといってる場合じゃないですよね。「読書」とか「文学的」とか「詩的」だを作文からスパッと切り離して、生活していくために必要な道具としての母語の作文技術ってのが必要なんじゃないでしょうか。それは何をさしおいても「分かってもらう」という一点に特化した「技術」でなくてはいけないと思います… なーんてね、偉そうなことを書きましたが、実は今回紹介する作品からの受け売りです。でもこれ以上シンプルで野太い日本語の作文技術を展開している作品を今のところ私は知りません。
■出版社
朝日新聞社
■著者
本多 勝一
■内容(カバーより)
多田道太郎氏
ちゃんとした日本語を書こうと思ったら、まず、勉強に本多勝一氏の「日本語の作文技術」を読め。これが私の持論である。なぜか。なぜなら、どうすれば文章がわかりよくなるか、その秘訣がそこに書かれているからである。「文法」とは、ほんとうはこの秘訣のことなのだが。小声で言っておくと、ごく忙しい目にあっている人は、全巻を通読しなくてもいい。第一章から第四章まで読めば、それだけで確実に、文章はよくなる。この本はそういうスゴイ本なのだ。(本書「解説」より)
ちなみに下が標題紙に当時書き込んだ自分なりの目次です。今見るとなんかの呪文みたいですね。というかこの本を一週間で読んでるって方が、かなり感染歩合が進んでいる感じが伝わってきますね。
自分が癖のある作品が好きなのはなんとなく感じてもらっていると思いますが、この人の作品はその中でも最大級ですので、どちら様もよろしくお願いします。ある意味 超有名人ですから。できればその人物像に対する先入観なしでこの作品は読んでもらえたらと思っていますが、そんなのどだい無理な注文なのかもしれませんね。改めて読み返しましたが、どこからどう読んでも「本多勝一」の作品だもの。ちなみにこの本を読んだきっかけは高校生の担任教師が紹介してくれたからでした。大学入試の論文対策で、読みたい奴は読んでみたら?という感じだったとおもいますが、おーい、こんなの高校生に読ませていいのか? いやでも当時この作品にハマったのは私だけだったし – たぶん。気になって他の同級生にそれとなく聞いた時は、こんな意味わかんねーもんで時間を取らせるなよって怒ってたように憶えていますので。ひょっとしたら、先生はきっと誰も興味を示すはずはないけど単に知識として知ってくれればいいぐらいの気持ちで紹介したのかもしれません。でもね、中には私みたいな変わった生徒もいるんです。おかげさまで著者の代表作は幾つか読ませてもらいました。いま思えばよく読んだな、自分。今からもう一度読めと言われても全力で遠慮したいですね。そういう意味ではこの人の作品を読むタイミングは高校時代のあの時以外は考えられないのかもしれません。先生、多謝!