恥ずかしながら、この歳になって朝マックにはまってしまいました。以前から朝だけ食べられるエッグマフィンとハッシュポテトのセットが好きで、外で朝食をとる場合は、積極的にお世話になったものでした。私が住む地域の今までのマクドナルドはショッピングセンター内にあったので、残念ながらそこでは朝マックは提供されていませんでした。なので、食べたい!という衝動が起こった時は、もう少し離れた店までいかなくてはいけません。でも、そうまでして食べたいか?と考えてしまうしらけた自分がいたりするので、いまのいままでなしくずしになってました。
ところがつい最近、私の家の近くにマクドナルドができたのです。そしてそこは24時間オープンの店で、当然朝マックもあった。いきおい、理由をつけては足しげく通うようになりました。とはいえ、最初はテイクアウトがほどんどでした。店内で食べる時もなーんか手持ち無沙汰で、そそくさと店をあとにしてました。でも、店内でまわりを見渡せば、いつ行っても必ず誰かが何かをしながら朝マックを楽しんでいるようだった。ノートパソコンに向かう人あり、手帳を広げて考え込んでいる人あり、iPad miniを見続けている人あり、打ち合わせをしている人達あり、と「食事」プラス「何か」をしているようだった。うーん、私も何かをしながら食べてみようと思い、私だったら何がしっくりくるんだろうと考え、読みかけの小説などを持ち込んで、食べながら本を読んでみた。いやー、コレ、はまってしまいました。きっと同じことは他の喫茶店などでもできるのでしょうが、なんというか、そちらはまったりとしすぎてどうにもいけません。ちょうどいい感じのあわただしさが朝のマクドナルドにはあるような気がします。放っておけば机の上のかざりになりかねないたまった本を読み進めていくにはちょうどいい緊張感がそこにはあって、休日の朝には決まって読みかけの本をいつものカバンに放りこんでマクドナルドに行くようになってしまいました。
さて、マフィンを頬張りながら、時々思い出す風景があります。
いつ頃だったのかははっきりと思い出せませんが、私が学生時代だったような気がするので、20年以上前だと思います。ふとTVで見かけたそのドキュメンタリー番組は、太平洋戦争後のアメリカ日系人を追いかけた内容だったと思う。当時は日系人の強制収容や激しい差別が全土で行われ(戦前から移民し、すでに3世以上にもなっている日系人に対しても同様だったそうです)、その当時、いかに日系人が生きてきたか、という内容だったように思います。決して明るく楽しい番組ではなかったと覚えていますが、その番組の最後の方だったと思う。取材を受けていたおばあさんが、あるファーストフードショップで自分の顔ほどもあるハンバーガーにパクついていた映像が今でも印象深く私の中に残っているのです。確か、そのおばあさんは既に他界されたおじいさんといっしょにアメリカへ渡り、大変な苦労をしてきました。でも今は孫にも恵まれ、なんとかアメリカ社会に根づくことができるまでになったのです。そんな彼女が、自分の顔ほどもあるハンバーガーをパクつきながら、「ほらこうすれば綺麗にみえるでしょ?」といって、パクリと食べて半月型になったハンバーガーの右側と左側をさらにパクパクと口を動かし、食べあとが真っすぐになるように食べ直したのだ。
彼女はどのような思いでアメリカに渡り、どんな生活を強いられてきたのかを考えると、とても暗い気持ち一色に染められそうになるけれども、彼女自身は – ある意味非常に思い入れのあるであろう – アメリカの代表的な食べ物を前に、それをいかに美味しそうに、そして綺麗に食べれるかということの方に気を配っていたのだ。私はその姿に、なんて強くて素敵な人なんだろうと思った。
綺麗に食べようとすること。これは人にとって大きな楽しみであり、同時に遊びでもあるのではないだろうか、なーんてことを朝マックしながら思ったことでした。